12/08/2011

Mさんのこと


ツイッターを開いた時に目に入った言葉。書いたのは、毎週末東北へボランティアにいっている30代の男性だ。明日からの東北入りも、彼の情報で知った。

これを読んだとき、いくつかの記憶が蘇った。記録しておこうと思う。


出張である駅を利用した。コンコースで一人のホームレスの男性を見かけた。着ている灰色のズボンの尻の部分が破れ、ぼさぼさの髪。足早に歩く人たちの間をゆっくりと、幾分からだを揺り動かしながら歩いていた。気の毒に思った。
職場に戻り、授業の冒頭で駅で見たことを話した。利発な男子生徒がすかさずいった。「ホームレスになるなんて自業自得ですよ、先生」。絶句した。他の生徒たちの表情がどうであったか、記憶にない。あの時の14才の少年の表情と言葉の調子は、25年経った今でも忘れることが出来ない。


もうひとつ。


東京から雪国に帰って来たとき、よくいく図書館のとなりの公園に、ホームレスの人が数人いて驚いた。冬はどうしているのかと。その中の一人の男性と話すようになった。きっかけはうちの犬だった。「その犬、見たことあるな。先週おじいさんが散歩させていたのと一緒でしょう?」。その「おじいさんは」父だった。

帰宅してから話をしてみると、父もこの男性と何回も話をしていたことがわかった。
犬の散歩で毎日公園にいく。きまってその男性は藤棚の下のベンチに座っていた。隣に座ると鞄の中からかつて勤めていた会社の社員証や、小さなノートを見せてくれた。もちろんこちらが要求したわけではない。社員証を見せながら、仕事場で大けがをしたこと、家族がいたことを教えてくれた。その日からMさんと名前で呼ぶようになった。

小さなノートには、丁寧な文字でびっしりと俳句が書き込まれていた。藤棚の下でどんな句ができたのかなと思った。足元で太り過ぎた犬が寛いでいる。Mさんはホームレスになって半年くらいだといった。公園にいる他の人たちとは話が合わないとも。

冬にさしかかるとき、父の衣類で着なくなっていたものを大きな袋に詰めて渡した。その日の夕飯にカレーを作ったので、容器に入れて持っていった。家に呼んで一緒に食べてもらいたかったが、知らない人を家に呼ぶのが嫌いな母が反対した。Mさんは渡した衣類の中から新しい下着数枚と分厚いコート、ハンチングを選んだ。

年末に公園に行くと、大工の棟梁と一緒にいた。正月くらい暖かい布団で寝て、熱い風呂に入らないかと招待されたとのことだった。嬉しそうだった。

雪が舞う頃、市内の図書館ホールで、米一合を持ち寄り、お握りを作ってホームレス支援をしようという会があった。会場で映画監督のKさんとばったり会った。Mさんもいて、ハンチングを被っていた。「これ、気に入ったよ」と笑った。KさんはMさんの支援を始めていた。教会の一室で寝起きが出来るようになっていた。アパートを借りるための保証人になり、奔走中と話してくれた。

犬の散歩で公園に行っても、Mさんの姿はもうなかった。アパートに入居したのだ。彼からの電話で知った。元気そうだった。仕事を見つけていると言っていた。15年前の出来事。