12/10/2011

陸前高田で側溝の泥出しをする




長野駅から出発した大型バス「信州号」は、途中、佐久や群馬でピックアップし、43人で岩手県陸前高田市へ向かった。バスの中での自己紹介から、参加者は高校生から年配の方までと幅広く、女性が過半数を占めていた。私と同様に単独での参加者が多い。主催者が長野在住の女性ということも大きいと思う。私は安心して参加することができた。

長野出発で群馬ルートのため長野県、群馬県の方が多いが、新潟県2人(私と上越の方)、岐阜県、千葉県からの参加者もおられた。千葉県の方は、「信州号」の産みの親ともいえる「レーベン号」で月2回東北へ行かれているサラリーマンの男性で、参加者のサポート役としてわざわざ長野駅までいらしてくださったのだった。

岩手県は快晴だった。東北地方とはいえ太平洋側のため雪もない。関東発のレーベン号の方は「厳しい寒さ」と仰っていたが、信州号の参加者は地元と同じか、それより過ごしやすいと感じていたようだ。

スーパーハウスを数棟連ねたボランティアセンター前には、大型バスが10台以上が停まって、受付の順番を待っている。高校生の集団もあった。センターの人から破傷風などの注意を受け、スコップやバールを積み込んで、現場に向かった。

我々に課された作業は、海沿いの地区の側溝の泥あげだ。信州号とレーベン号の参加者約80人で作業開始。コンクリート製の厚い蓋をバールで持ち上げ、中に詰まった湿った砂を剣スコ、平スコでかき出す。中には割れたガラスや石、電池、空き瓶などが混ざっている。それらを分別してバケツと一輪車で運ぶ。
「側溝の泥あげは、ボランティア作業の中で一番きついものです。腰を痛めないよう、ゆるゆると始め、無理をしないようにしてください」とリーダー。
豪雪地帯で雪掘りを日常的にしており、春先には山仕事もする私にはぴったりの仕事だ。すすんで重い一輪車を押す。



正午に地元業者のお弁当が配られ、半壊した防波堤の陰で風をよけながらいただく。この日の波は穏やかで、多くの命を奪ったことが俄に信じられないくらいだ。しかし、ひしゃげた鉄柵やポール、窓ガラスが破れた建物、寸断された道、地上5mほどの枝に引っかかったままの浮きが厳然とそこにはあった。なにより、この漁港には多くの建物と船があったはずだ。


一人の男性がいらして「ここの漁港を使っている者です。ありがとう。ありがとう。」と、繰り返し仰って作業の隊列を回ってくださった。こちらこそ、ありがとうだ。作業をさせてもらって、ありがとう。
実質3時間の作業時間であったが、約400メートルの側溝がきれいになった。9ヶ月間そのままであった泥が高い山になった。重機ではできないこのような作業は、ボランティアの人海戦術でやっていくしかないのだろうなと思った。まだまだボランティアの需要はある。
また、このような単純作業は大人に交じって中学生も出来ると思った。体力にあまり自信のない人も、その人なりの働き方で参加ができる。初対面同士の集団でも、高い集中力で統一の取れた動きだった。怪我人もでなかった。

作業現場からボランティアセンターまでの道中で、あの一本松を見た。荒涼とした大地がキラキラと輝くのは、ガラス片が混じっているからだ。あるご家族が、地面に花を手向け、手を合わせていらした。数メートルはある瓦礫の山から白煙があがり、消防車が数台消火作業にあたっていた。帰ってから同市の高校生がツイッターで、消防団のために性能のいいマスクを至急送って欲しいと書いていたが、それはこのことをいっていたのだ。
下においた車窓から携帯の録画機能で撮った映像に、消火作業の様子がある。


陸前高田の「採れたてランド」という産直の店で、干し柿などを買った。バスで移動中、民家の軒先に干し柿のすだれがたくさんあったのだ。野菜や果物、漬け物など様々な商品が、スーパーハウスの店舗に並んでいた。レジの女性たちは快活だった。

スーパーハウスの店舗は次第に増えていっているのだろう。薬局、中古車屋、弁当屋、食料品店などなど、元通りとはいえないが暮らしがそこに見えた。
気仙沼のホテルで温泉につかり疲れを癒す。食堂で海鮮丼をいただく。気仙沼は津波だけでなく炎が街を襲った。真っ暗で様子はよくわからなかった。港に漁船が数艇係留されている。小さな飲食店が集まっている場所の前にはタクシーが3台。見上げると満月が煌煌と輝いている。皆既月食を帰路見ることが出来るだろうか。
どなたかも仰っておられたが「迷ったらやる」。行ってよかったし、また行きたい。

 
【ボランティア・バスについて】
バスで行くボランティアは色々あると思いますが、今回初めて参加したバスの雰囲気は、単独参加者でも安心なものでした。半数が若い女性でした。街に帰ったらきっとオシャレな人なのだろうなといった雰囲気の方達が、作業服を泥だらけにして作業していました。リーダーの男性はとてもまじめな方で、参加者に丁寧に指示を出し、率先して作業をされていました。このグループには、私が苦手なマッチョな雰囲気は、微塵もなかったことをご報告致します。