5/25/2010

松丸本舗で考えたこと

信越線と長野新幹線を利用して東京日帰り。連絡の関係で約束の時間まで2時間あったので、かねてより訪ねてみたかったオアゾ4階の松丸本舗に向かった。丸善主宰、松岡正剛氏が編集ということで、開店当初随分とその螺旋状の書棚はメディアに出ていた。

一歩中に入ると、やはりこれまで見知っている書店の棚とは趣が違う。書店というより愛書家の書庫を覗き見ている感覚だ。平日ではあるがちょうど昼休みであったためか、スーツ姿の人たちが回遊している。千夜千冊に取り上げられた本が、テーマ毎にひとまとまりになっている本殿と名付けられた棚には、もはや一般書店では(特に地方都市の)目にすることのないものが新品の状態で収納されている。ハードカバーの前面に文庫本が置かれるといった陳列で、奥の背表紙が見えないところもある。もしや、これは、陳列された物を閲覧するだけで販売はしていないのか。いや、書店が主宰であるのだからそれはないだろう。そんな思いが去来するほどに、ユニークな陳列方法である。図書館分類法で並んだ図書館とも違う。関連した本を集めましたという書店の特集コーナーとも違う。ひとつのテーマを掘り下げる知的行為、思考の足跡、知の連なりがそこにはあった。

最近紙の本は劣勢だ。電子書籍化や本を裁断してデータ化するといった記事を頻繁に目にするようになった。デジタルかアナログかという議論も散見される。そんな中でこの膨大な書庫を眺めていると、何か懐かしさがわき上がってくる。この光景が博物館のように感じられる日がいつか来るのかもしれないと妄想したりする。紙の本に親しんできている年代の私としては、場所塞ぎであろうとも本棚は手放さないのではないかと思ってはいるが、日常的にパソコンのモニタでかなりの分量の情報を読むことにも慣れてきている。案外と新しいテクノロジーに慣れるのに時間がかからないのだとも自らを振り返って思う。
しかし紙の手触り、匂いといった感覚に訴えてくる面は捨て難い。薄暗い小学校の図書館で、手垢のついた名探偵の物語に夢中になった記憶が忽ちのうちに喚起される。
電子書籍化が進んでいくのは間違いないことだが、電子デバイスで読むものと紙で読むものは分かれていくようにも思う。ビジネス書や新書類は電子で消費し、フェティッシュなものは紙のままというように。松丸本舗にあったようなものは、紙で読み続けられるのではないかと予想している。

 松丸本舗のコンセプトは知的好奇心をくすぐり、人を読書体験に誘って本を手に取らせることにあると感じた。現在の書店が人を惹き付けるための方策がここにはあると思う。つまり、目利きの存在だ。売れている本のランキングではなく、誰でもがもつ知的好奇心を刺激し、掘り下げてくれる「人」の存在。媒体が変わろうともこの存在はポイントのように思う。
果たして十年後、いや今のテクノロジーの速さでは三年後、これを読み返す時に本を巡る状況はどのようになっているのだろうか。そして自分の読書スタイルも。