1/24/2009

お見舞いについて思うこと

ご母堂のお見舞いで数日帰省されていた方と話した。内実はお見舞いというより介護に近い。病室に寝泊まりしてお世話をしてこられたそうだ。
私も家族の介護で病院寝泊まりの経験があるので、その方のご苦労は想像がつく。病院で借りる簡易ベッドは寝返りが打てないくらいに狭いし、夜中に看護士さんが見回りにこられる。病人がいつ何時発作を起こすかもしれないと気が気でもない。そして何ともいえない病院特有の匂いもあるため、熟睡などできないものだ。
病院の売店に売っている食べ物もサンドイッチやおにぎりなどで、食欲も湧いてこない。食堂もあることにはあるが、長い時間病室を離れるわけにもいかない。寝泊まりしての介護というのは、数人で交替でやらないと元気な人も身が持たない。

こういう時ありがたいのは、一泊でも代わって泊まってくれること。布団の上で寝返りを打ちながら熟睡すると元気が回復する。お菓子や果物の差し入れより普段食べているような総菜が嬉しい。あるいは食堂へいっている間だけ病人についていて下さること。
でも、なかなかこういうことは極近い関係の者にしかお願いできない。



ひと月近く入院した経験からありがたかったお見舞いというものを思い出してみた。
3週間は半身ギブスに入って動けない状態だったので、当然風呂も入っていないし髪もぼさぼさ。化粧などもちろんするわけがない。顔も洗えないのであるから。そして体は痛い。
わざわざお見舞いにきて下さった方々には、感謝の気持ちがあるのだが、いかんせん上記のような自分を見ていただきたくないというのが強かった。病状など同じことを来る人来る人に繰り返し話すのもちょっと疲れた。動けないからベッドサイドの机の上もごちゃごちゃしている。そんなのを見られるのも嫌だった。

で、ありがたかったのはお手紙だ。
当時は携帯電話もインターネットもない。通信手段は公衆電話か手紙。
こちらが返事をしなくていいような内容、例えばお子さんの(担任をしていた生徒)様子とか、他のこどもたちの様子、庭の草花のこと、考えていることなどを葉書に綴ってくださった方がいた。それも一回だけでなく数日おきに。涙が出た。
今だったらメールが嬉しいだろうと思う。
今度入院するようなことがあったら、パソコン&ネットは持っていきたいと思っているが、実際の所ネット接続なんぞ可能なんだろうか。


おつきあい上とか義理でお見舞いしなければならないということもあるかと思う。しかし、病人やその世話をしている人にとっては、さほどありがたくもないという状況もあるのだ。もちろんお気持ちは嬉しいのだが。できれば短時間で失礼したいものだ。あるいは、本当にやって欲しいことをやってあげるか。
でも、会社の人に下着の洗濯とか頼めないしね。