8/09/2012

キャンプネームはありません

先日、参加者の代表の方から「キャンプネームは何ですか」と尋ねられ、「ありません」と即答したら、「マロンちゃん(仮名)」は驚いた表情をされた。

どうもキャンプネームがないことは、野外活動の業界では稀のようである。
1983年設立の自然学校の老舗的な国際自然大学校の桜井さんによると、野外活動の参加者と指導者が、本名とは別のキャンプネームを名乗るのは、システム化されていると言えるほどに普及しているとのことである。(キャンプネーム
たしかに外部の講師の方たちは、それぞれにキャンプネームを書いた札を首から下げていらっしゃる。国立妙高青少年自然の家で開催された妙高アドベンチャーの指導者講習会に参加した時も、まずキャンプネームをつけることから始まった。(そしてとても困った。結局、苗字をキャンプネームにした。)

冒頭の参加団体さんの場合、子どもたちにはキャンプネームはつけない。リーダーや指導者である大人たちにはついていた。私の数少ない他団体での経験でも、子どもたちは本来の名前で呼ばれ、大人たちがキャンプネームを名乗るというパターンが多かったように思う。

私の場合、要請がありキャンプ長や森の番人、山の先生といった「役割名」で呼ばれることはかつてあったが、役割が終わればその名も終わる。キャンプネームのような永続的なニックネームは自ら進んでつけていない。これからもつけることはないだろう。

馴染めないのである。そして必要性も感じないのである。
親しみやすく覚えてもらいやすいようにということであれば、本名でも問題はないと思う。現に近所の4歳児は「オオヤさん遊ぼう」といって毎日のように事務所に顔を出す。仲良く遊んでいる時も4歳児は私を「オオヤさん」と呼ぶ。

上のリンク先で桜井さんがおっしゃっている「可能性」のきっかけや「新しい自分発見」のためにキャンプネームはあるのだろうか。本来の名前であってもそれは可能ではないだろうか。どうも後からつけた理由のように思えてならないのだが。

そもそもの由来はなんだろうかとインターネットで検索をしてみた。中村達さんが「キャンプネームの不思議」というコラムの中で触れられていた。筑波大学の名誉教授で野外教育の草分けでもある、長谷川純三先生のお話しである。

そもそもキャンプネームは、米国の野外教育の現場で考え出されたのだそうだ。人種が多様な米国では、日本では想像も出来ないほど、名前によって出身地や人種が分かることが多く、それが差別に繋がることがある。そこで、野外活動の場で子ども達に人種差別が起こらないようにと、キャンプネームがつけられたのだとうかがった。キャンプネームだけだと、出身地や人種はわからないという配慮なのだ。

別の名前をつける意味は子どもを守るためにあった。中村さんも指摘されているが、背景の異なる日本でキャンプネームを持ち込む意味はあるのだろうか。

指導者がキャンプネームというニックネームで呼ばれることに、特に私は違和感がある。私が中学校教員だったせいもあるが、指導者と子どもたちとの距離は一定に保ちたい。安全の為に厳しいことを言う時もある。年長者をニックネームで呼ぶ/呼ばれることへの抵抗感も強い。
○○ちゃんなどと呼ばれたら、鳥肌が立ち力が抜けてしまうのもある。ましてや他の指導者の大人を「△△ちゃん」などと口にするのはとても抵抗があるのだが、他の方達はどうなのだろう。