5/05/2010

集落の歴史

先日、市内の山村にお住まいの古老より、集落の歴史をうかがう機会があった。今は廃校となって随分と経つ分校の歴史を冊子にまとめられた方である。知っている人も僅かとなった今、忘れてしまわぬうちに集落の歴史もまとめようと、現在精力的に調査研究を行われている。

小さな集落の中に3つも神社があったという。新潟県が最も神社の数が多いという読売新聞の先月の記事を思い出した。そのひとつでは 刀の柄などが出土していたそうだ。
昭和34年に初めて耕耘機が入ってくるまで、代掻きは牛の仕事であった。牛の爪切り場のことを覚えているのは60代以上の方々で、そのお話しを楽しそうにしてくださった。
明治22年頃は32軒、昭和40年までは30軒。その後は減少の一途を辿ることになる。最盛期は1,200俵の米の収穫があったそうだ。
寿永2年(1183年)に既に人が入村していたという記録もあるとのことで、雪深い山里で現在のような道も、ましてや除雪もない中で、どんな暮らしをしていたのだろうかと思いを馳せた。

現在行政区分が異なる上越市板倉区との交流が深かったとのことで、この集落から板倉へ続く道を下見してきた。「菰立(こもだて)」「機織(はたおり)」「飯喰沢(いぐいさわ)」と、いかにも歴史を感ずる集落名である。そして、思いの外近いこともわかった。

 
犬がいたのでついパチリ。