11/06/2009

薄氷の行方


古い絵はがき。意外と色あせていない。

絵はがきが好きで十数枚常備している。収集が目的ではなく、ちょっとしたお礼や季節の挨拶に使うためだ。したがって常に回転している。その中で1枚、ずっと持ち続けているものがある。図案は佐伯祐三(1898-1928)の広告塔(1927)という油彩画である。葉書の表には「長岡現代美術館」と印刷してある。
少々小ぶりのこの絵はがきであるが、複数購入し最後の一枚となったのか、最初から一枚で誰にも出さずにいたのか記憶が定かではないのだが、この絵が気に入って買ったことは間違いがない。美術館の歴史を振り返ってみると、購入したのは私が中学生の時だったようだ。30年以上持っていたことになる。

長岡現代美術館は大手通り商店街の大和デパート隣にあった。現在は商工会議所になっている。1964年に竣工、1979年の休眠まで、大光銀行のコレクションを展示する日本で初めての現代美術館として親しまれていた。賑わいのある大手通りに立地していたので、買物のついでに立ち寄ることができた。上記の佐伯祐三の作品も大光コレクションのひとつで、現在は新潟県立近代美術館(長岡市)に収蔵されている。

建物は当時のまま残っている。建物正面の壁面には斎藤義重(1904-2001)による前衛的な鉄の美術品が設置され、その前には白い石を敷き詰めた庭がこしらえてある。ここの景色は45年変わらない。私の好きな場所のひとつだ。

▶建物外観の写真がこちらのサイトにありました。和田正則の建築LOGBOOK / 和田正則・建築環境計画 http://mawada.exblog.jp/9642321/

先日ご紹介した「懐かし長岡DB」の中に長岡現代美術館にあった作品について書いている方がいらした。それを読んでその作品を確かに見たことを思い出したのだった。この美術館は中学校の学区域内にある。本物の美術作品に触れるようにという美術教師の想いもあったのだろう。ここを訪れ、気に入った作品ひとつについて感想を述べるという課題が中3冬休みの宿題として出されたのだ。

私の心をとらえた作品は「薄氷(1969)」というタイトルだった。枯葉の詰まった池に薄氷がうっすらと張っている。全体的に暗い色調。細かな水泡や水の流れ、厳しい冬とやがて来る春を予感させる池に差し込む柔らかい光。ひたすら静かな絵だった。薄氷というタイトルも気に入ったことのひとつだった。中3の冬休みとえば高校受験直前。当時推薦などはなく試験一発勝負だった。自分の抱えている漠然とした不安を表す言葉として、この「薄氷」がぴったりだと思ったのだ。薄い氷の儚さ、もろさ。訪れて欲しい「春」。

長い間、この絵のことは忘れていた。作者がアンドリュー・ワイエス(1917-2009)であることを確認したのは、「懐かし長岡」のエントリを見たつい先日のことだ。セゾン美術館等で催されたワイエス展に足を運んでいるが、中3の時の受け止め方とは隔たったものだった。アメリカン・リアリズムにはそれほど興味をかき立てられなかったのだ。薄氷はそれらとは違ったのか。確認する術がない。なぜなら現在、薄氷の行方はわからないのだ。大光銀行が破綻した際、コレクションの約半分を売り払ってしまったためだという。



次回長岡に帰ったら県立近代美術館と駒形十吉記念美術館を訪ねてみようと思っている。売却を逃れた大光コレクションの数々と、「広告塔」との30年ぶりの再会のために。それから、現代美術館の建物も撮影しておきたい。

【2013/10/7追記】思い出したように薄氷の行方を調べている。美術館の収蔵品を洗いざらい調べてみたい。
さて、今回興味深い記述を見つけた。長岡現代美術館が日本で初めてワイエスを紹介したと言うもの。以下「山を歩いて美術館へ」からの引用です。


さて、一般にワイエスの日本での最初の展覧会は,この文のはじめに書いたように、1974年といわれるが、その74年の展覧会の図録に、それより前にワイエスの展覧会があったことが書かれている。見に行きたかった!とじつにそそられる文章で、古い展覧会の図録は簡単には手にできないと思うので、その展覧会に関する箇所をかなり長くなるが引用する。

1969年の夏に,長岡現代美術館は「ボッチオーニとワイエス」という展覧会を開いた。同館ではこの年ボッ チオーニの「人物とテーブル」(1914年作)と,ワイエスの「薄氷」(1969年作)二点を購入し,この披露 という意味であった。まるで時代もスタイルも全く違った二点だけの展覧会ということで,取合わせの妙に 興味をひかれたが,その展示がまた変っていた。ギャラリーはそう広いものではないが,作品を全部とり払 い,たった二点だけむかいあった璧にかけ,照明をおとして暗くし,ただスタンドー本づつを傍にポツンと 立てて,画面を照射しているだけであった。私は頼まれて,展覧会のバンフレットに,ボッチオーニの方の 解説を書いていただけに,はじめはそのダイナミックな作品の激しさをたしかめるようにながめていた。ほ とんど観覧者はいなかったように思うが,暗いパントマイムのような沈黙と空白がギャラリーの中にただよ っていて,私は次第に「薄氷」の方の静けさにひきこまれていったようである。枯葉が一杯埋まった池に, 薄氷がうっすらとはってきたところである。私は思わずボッチオーニに背をむけて腰をおろして見ているう ちに,絵の中の森羅万象がギャラリーの沈黙の中に冷えこんできて,シンが寒くなってくるようであった。 そして薄氷がパチンと割れて,もののけがうごめくのを覚えたが,その時,私はリアリズムの中にあるワイ エスを知ったと思ったのである。   (本間正義東京国立近代美術館次長) 


【2012/2/19追記】2009/11/29撮影。長岡現代美術館(現長岡商工会議所)、ビルの正面玄関にある斎藤義重の作品「大知浄光」と外観。