2/02/2009

テレマークスキーに至るまで

初めてスキーをはいたのは、多分小学校に上がる前だったと思う。長靴のままはけるスキーだった。それで庭を歩いた覚えがある。

小学1年か2年のとき、信濃川の土手で初めて滑り降りた。担任の女性教諭は何も教えてくれなかった。スキーが遊び道具のこどもたちだったから「できるもの」と思われていた。しかし、私は歩いたことはあっても坂を滑るのは初めてだった。次々と滑り降りる級友を見送り、いつまでもぐずぐずとしていたことを覚えている。ずっとそのままでいることもできず、思い切って滑り降りた。そして思い切り転んで足を痛めた。以来しばらくはスキー恐怖症。

雪国の人は皆スキーをすると思われているようだが、私の両親はしなかった。家族でスキー場に行った経験はない。我が家は皆インドア派。

中学の体育で初めてきちんとスキーを習った。高校の時は楽しかった。クラスに上手な女子がいて(のちにデモンストレーターになった)週末は彼女と電車に乗って浦佐スキー場まで通った。

大学では東京出身の人のほうがスキーに熱心だった。泊まりがけでスキーにいくのはこの頃。時代は「私をスキーに連れてって」、猫も杓子もスキーをしていた。スキーイントラのアルバイトもよくやった。

最初の職場では仲間と行ったり、体育教員の研修があったりして割と熱心だった。20代半ばまでは定期的にスキーに行っていたと思う。

以上ここまではアルペンスキー。そしてこの辺りでスキーに飽きてしまった。スキー場で滑るのはプールの中を繰り返し泳ぐのと似ている気がしていた。スキーブームが下火になりだしたのもこの頃。またインドア派に戻る。


再びスキーを手にしたのは15年後。クロスカントリーのツアー用。友人に誘われ日光で歩いたのが楽しかったのだ。車にスキーを載せて、雪の上を歩けそうな場所を見つけると散歩した。
地元の低山にも行ったのだが、下りが非常に難しく怖かった。そんなとき歩けて滑れるテレマークスキーというものを友人から紹介された。

それから車にはクロカンとテレマークを載せることになった。場所によって使い分けるつもりだったのだが、だんだんクロカンを使う頻度は少なくなり、そのうち物置にいく。
以来ずっとテレマークスキーだ。スキーの裏にうろこが掘ってあるもの、ないもの。これらを車に載せておいて場所によって使い分けている。

スキー場で滑るのもテレマークスキー。森で自然観察もテレマークスキー。低山ハイキングもテレマークスキー。靴は革でずっときている。
激しく滑ったりパウダーを追い求めたりという志向はないので、今後もこのスタイルでいくだろうし、この道具立てで私には十分だと思う。