雪山のシーズンとなり、年末に上越へ出かけた。基礎をもう一度かためようと、スキースクールに入り、特訓と意気込んだ。しかし、滑り始めると思うようにスキーが動かない。先生には「だっめだな」と言われる。昨年習った事と別なことを指示されて戸惑っていると、また「だっめだな」。次第にヤル気が失せてくる。先生は生徒の下手さかげんにうんざりなのだろう。
しかし、習うほうは「できないから習う」のだ。意欲を失わせる教え方は如何なものかと思う。が、実際どのスクールに行ってもその手の教え方が多い。悪名高い自動車教習所が思い浮かぶ。<中略>
技術があればいいのではなく、それをどう上手く伝えるかが重要なのだ。そのためには幅広い教養がいる。<後略>
これを読んで私は驚いたか。いや、驚かなかった。残念ながら上越だけでなく、ここ妙高にもこのような「教養のない」スキー指導者はいるのだ。幸い私はこのような指導者に当たったことはないけれど、噂は耳に入ってくる。岡島さんがいうように、スクールに入るのは「できないから」で、下手なのは当たり前。それを少しでもうまくするのが指導者の仕事だ。少なくとも生徒の意欲だけは奪ってはならない。
岡島さんはこの経験から自然体験指導者についても同じことが言えると言及されている。自然体験のみならず、生活体験も乏しい今のこどもたちに対し、「そんなことも知らないのか/できないのか」と叱りつけても意味はない。これまで経験したことのない機会にのぞんだこどもたちに、やればできる/面白いと興味を引き出すのが指導者だろう。
習いにきた人をけなす「指導者」は、己の指導能力がないことを表明しているに過ぎない。