8/13/2011

お盆 五十六記念館 戦災資料館


お盆なので実家のある長岡へ。お墓参りは13日にするのが昔からの習慣だ。子どもの頃は、日が暮れてから提灯を持って親戚のお墓にお参りしたものだが、13年前からは、朝から行ってお掃除から始める。今年は若干出遅れたか、すでにお花が捧げられていた。お墓のある場所は市内の高台にあり、いつ行っても見晴らしがいい。目の前は畑がある。トウモロコシが勢いよく育っていた。


実家で久しぶりのテレビ鑑賞!8月は映画も戦争ものが中心で、未見だった「硫黄島からの手紙」と「トラ、トラ、トラ!」を観る。「トラ、トラ、トラ!」は真珠湾攻撃のことを描いた1970年制作のもので、山本五十六を山村聰が演じていた。そういえば、「山本五十六記念館」なるものが長岡にはあるが、行ったことがない。これを機に行ってみるかと翌日行くことに。



小さな駐車場は満杯で暑い盛りの時間にも関わらず多くの来場者がいた。ちょうど真珠湾攻撃に関する特集展示をやっていた。書簡にみる山本五十六の文字が、繊細であることが少々意外であった。郷土史家・稲川明雄氏の本を購入。


その後、徒歩圏内に立地する「長岡戦災資料館」へ。駅前のここは何度前を通ったか知れない。いつもガラガラで入りにくかったが、この日は10人ほどの人。こちらも真珠湾攻撃の特集展示を行っていた。ちょうど前述の映画「トラ、トラ、トラ!」で触れていたアメリカ側の被害状況が詳しくわかる資料展示であった。

2008年にNST(新潟総合テレビ)が制作したドキュメンタリー「昭和20年8月1日~語り継ぐ長岡空襲~」をちょうど流していたので視聴する。このドキュメンタリーで長岡空襲(8月1日)以前に大型爆弾(パンプキン爆弾)が落とされ、4人の人の命を奪っていたことを知る。(7月20日、左近町に落とされた模擬原爆については、こちらのブログに詳しい)

上記ドキュメンタリーで触れられていたが、長岡空襲の犠牲者の遺影を集める作業が今も続いているという。それは同資料館の3階に掲げられていた。小学校区ごとにまとめられ、氏名、亡くなった当時の数えの年齢、場所が記されている。防空壕の中、平潟神社、柿川の中など、長岡の中心街の惨状がその文字列で想像できた。

終戦当時小学1年生であった母親は、中心街から離れた親戚宅に疎開していた。生家にもどったのは1年後とのことである。その時、長岡駅から長生橋まで見渡せた記憶があるという。幸いにも母親の生家は道一本ギリギリのところで燃えずに済んだ。その証拠となる地図を同資料館で確認することが出来た。父親の生家のある地区は、市内でも犠牲者の多かった地区であるという。周辺一帯、真っ赤だった。地図は昭和20年当時の国土地理院のもの。

母の生家は青色。道一本で燃えず。母校も逃れていた。
父の生家は赤色。この地区の犠牲者は2番目に多い
長岡戦災資料館の3階