トルコに行くというと「親日的な国と聞いているよ」と返ってきた。
旅行中複数の人から何度も聞いた日本とトルコの関係の話。実はこの度初めて私は知った。
1890年のエルトゥールル号遭難事件において、日本の人々がエルトゥールル号の生存者にさしのべた救援と同情である。詳しくはこちらを参照
このときのことを忘れないでいたトルコ政府は1985年イランイラク戦争において、日本人が現地に取り残され、自衛隊も日本の航空会社も飛ばせない状況のとき、トルコ航空で救出してくれたのだった。
この他にもトルコ人にとって日本の印象がよい事例をガイドから教えてもらった。
例えばテレビで日本の将軍というドラマが放送されて、靴を脱ぐことや人前での男女の関係、年長者を敬う文化が、それまでテレビを通じてみていたヨーロッパのものとは違い親近感をもったということ。湾岸戦争において、トルコ兵士出兵に対するお金の支払いの約束に応じたのは日本だけということ。ボスポラス海峡にかかる橋の技術が信頼できるということ。これらのことからトルコ人は日本人に対していいイメージを持っているとのことだった。
トルコ語で話しかけるととても喜びます。ガイドからそう聞いていたので、同乗者たちは「メルハバ」という挨拶を気軽にかけていた。するとちょっと恥ずかしそうな笑顔が返ってくる。そこから更に会話が始まることもあった。
ちょうど私たちが到着した日から3日間クルバン・バイラム という犠牲祭が始まっていた。羊や山羊、駱駝を屠り、肉を貧しい人に分け与える日だ。親戚、家族が集まる日でもある。観光地にいくとトルコ人の家族連れも多く訪れていた。そんなあるご家族にメルハバと挨拶をしてみると、スカーフを被ったお母さんがにっこり笑ってくださる。隣にいた息子さんが英語でどこから来てどのくらい滞在するのかなど質問して、しばし立ち話。この犠牲祭のトルコ語の名称を教わったのは、その息子さんからだ。
しかし最も話したのは旅の間ずっとご一緒した日本語ガイドのイルさんである。陽気なお人柄と流暢な日本語、観光地の案内に留まらない解説に、バスの乗客全員彼に親しみを持った。植物の名前は聞かないでねとおっしゃっていたが、乗客のあらゆる質問にわかりやすく答えてくださった。私たちにとってトルコ人のイメージは彼であり、それはとてもいいものなのである。
旅の要素は様々にあるが、今回のような周遊の旅には日本語ガイドの存在は大きいものだった。私たちの旅を最上のものにしてくれたのは、彼のお陰である。そしてそのことは、自分たちの仕事を振り返ることとなる。接する人のおもてなしの心、気遣いが旅の印象を大きく左右するということ。そんなことを同乗者と話しながら旅を続けたのであった。