8/03/2011

2011年の長岡花火:メメント・モリ

フェニックス(携帯で撮影)
8月はどうしたって人の生き死にについて考える。
1日は長岡空襲のあった日だ。日本一の長岡花火はその慰霊のために始まった。単なる観光イベントではないのだ。今年は大会2日目(8月3日)に駆けつけた。

7月29日、30日の豪雨で花火会場である信濃川の河川敷も被害を受けていた。既に準備されていた観覧席の多くが流され、テントの屋根しか見えないほどの水。花火打ち上げ会場も冠水しているという。どうなるのか。インターネットで長岡のひとがアップする写真を見ながらやきもきしていた。(私が見ていた被害状況を伝える写真)実家付近のよく知った場所が冠水、川が氾濫もしていた。
豪雨が収まってからは水もひき、会場の復旧作業が夜遅くまで行われ中止はまぬかれた。(その様子を伝える声


3日の午後、ゲリラ豪雨が会場を襲う。ちょうど国道を走っているときだった。前方の景色が異様で、上空と路面が黒い。今まで快晴だったのに、突然豪雨に突入した。ワイパーを最速にしても見えづらいほどの雨量だ。しかし花火打ち上げの3時間ほど前にはやんだ。


例年より早めに会場に行く。今年から(なのか)17時以降は入場が制限されるとあったためだ。40万人もの人がくるわけだから、狭い土手への階段などで将棋倒しの事故になってはいけない。主催側の意向はよく理解できる。
メイン会場から少し離れた無料観覧席に腰を下ろす。フェニックス観覧席は、午後のゲリラ豪雨で水たまりができている。場所取りのブルーシートにもたっぷりの雨。しかし、簡易トイレは立派に設置され、救護や本部、物販のテントも数多く建っている。短時間でこれだけの復旧がなされたとは、正直驚くとともに、関係者の方々への感謝の念でいっぱいだった。


長岡空襲、東日本大震災、中越地震、この度の三条市、十日町市を中心とする水害。亡くなられた方々への祈りと災害の復興を祈願して、最初の花火があがった。40万人(推定)の黙祷。
19時過ぎから21時までの花火の響宴は、物心ついたときから見ていても圧倒される迫力だった。美しい。しかし、今年はいつもと心持ちが違った。

そもそもの由来が慰霊である。長岡人なら誰でも知っている。「花火、きれいー」と思いながらも頭の隅では、空襲で川に飛び込んだ人の話しなどが思い出される。
今年はどうしたって津波の映像がフラッシュバックする。黒々とした水が車や建物を押し流し、逃げ惑う人々の映像。またどれだけ読んだか知れない災害の記事、記録、言葉そして写真。そして今なお続く福島第一原発事故の影響。
夜空に大輪の花を咲かせ、数秒後には消え去る花火が、命の儚さに思えてしかたなかった。奇しくも一緒に見ていた母が言う。「あと何回この花火がみられるだろうか。見られる限り、土手に見に来ようと思う。」と。
長岡花火が慰霊の花火であるということを、今年ほど強く思った年はない。メメント・モリ。